俳句を作っていた頃
10年以上も前にもなるでしょうか俳句を作っていた時期があります。
俳句って年配の人の趣味というイメージだったけれど、とある俳句の会に誘われて行ってみるとそこは大学生や若手のサラリーマンが多かったです。
もちろん年配の方もいらして、年齢関係なくみんなでワイワイやってて楽しいなあと思ったのがきっかけで始めました。
俳句の会では誰もが平等で、作者がわからないようにもちろん無記名で出し、更に手分けしてみんなで書き直すのです。文字の癖でわからないようにするため。
それを順番に回してめいめいが好きな俳句を選ぶのです。
そして、選んだ俳句を提出してその日の当番?が読み上げる。
そして自分の俳句が選ばれたら、名乗りをあげる、そんなシステムでした。
えらい先生の俳句でも誰にも選ばれない時もあるし、始めたばかりの人の俳句が評判が良かったりする。
ハマりました、その時は。
そして俳句の先生についたのですが、その先生の男気というかいつもやること話すこと筋が通っていて、誰にでもフェアである先生の人柄に惚れ込みました。かなりの年配の男性ですが。
そして半端ない読書量と教養、すべてが素晴らしかったのです。本当に何でもご存知でした。
その先生につくって、例えていうと正岡子規に教えてもらうとか高浜虚子に教えてもらうとかそんな感じなのです。
俳句を作るために旅行もあちこち行きました。北から南まで。特に良かったのは能登です。
俳句旅行のこと今度書こうかな。
若手の俳人ということで俳句雑誌にも載せてもらい、先生に序文を書いていただいて句集も出しました。
こんか名誉なこと、本当になかなかないのです。
ところが俳句を作るのをやめてしまったのです。
先生が亡くなったのがきっかけかもしれません。
虚しくなってしまったというのか、いくら作っても二番煎じというのか、どこかで見たような、誰か知っている人がみれば私の俳句だとわかってしまうようなのしか作れなくなりました。
新しくできる俳句結社にさそわれたり、昔からある俳句結社に行ってみたりしたのですがどうにもやる気がなくなってしまいました。
正直にいうとつまらなくなってしまったのです。つまらない、は言い訳かもしれません。
本当はこれを乗り越えればもしかしたら新天地が待っていたのかもしれないのに、乗り越えようとしなかったのは能力の限界だったのだと思います。
能力を上げようとしないで逃げちゃったということ。
また作る日が来るのかどうかわからないけれど、俳句歳時記は捨てずにとってあります。
こんなこと書くってことは未練があるのかもしれません。