読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ライターは真夜中に目を覚ます

ライターで一本立ち目指し中。猫飼ってます。バンドやってます。たまに高校生男子のお母さんやります。

あの世に逝ってしまった兄貴のことなど

日記的な

私には兄がいて、6歳ほど年が離れていたので小さい頃から

可愛がってくれていたと思う。

頼みもしないのに野球を教えてくれようとしたり、

サッカーを教えてくれようとしたり。

残念な運動神経の持ち主だったので、

兄貴の期待にはまったく応えられなかった。

兄の置いていたお菓子を食べても全く怒らずいいよいいよと

笑ってくれる優しい人だった。

 

兄は心根は優しいけれど見栄っ張りなところがあった。

大学生までは笑える話も、

社会人になったらダメ男の話に

なっていっていた。

 

一応はちゃんとサラリーマンしていたけれど、

身分不相応なものを欲しがった。

金遣いがとても荒いのだった。治らないやつだなと思った。

 

すごくかわいい子と長い間付き合っていたけれど、

婚約直後に振られてしまった。

私も彼女と一緒に遊びに行ったりしていたからその時は寂しかった。

今思うと彼女の決断はとても正しかった。

 

兄はその後またかわいい女の子と出会い、都内有名結婚式場で結婚式を挙げた。

私はそのお嫁さんのことがもやっぱり好きで泊まりに行ったり(今考えると迷惑)、

遊びに行ったりしていた。

二人の間に子供はいなかった。

 

何年か経って、突然お嫁さんは離婚したいと言い出した。

全ての貯金を兄の借金の返済に使ったのだという。

平和なはずだったのに、一気にとんでもないことになっていたのだった。

しかも会社なんてとっくに首になっていた。

それなのに兄はすごく強気で転職先は受かるとはおもえない

大手ばかり狙っていた。

お金の使い道は女性でもなく博打でもなく、単なる見栄っ張り代だった。

 

お嫁さんは兄の元を去っていった。

私は「ごめんね、お兄ちゃんのせいで」と手紙を書いたけれど返事はなかった。

仕方なく実家に戻った兄は、ほそぼそと仕事をしつつ両親と暮らすことになった。

 

私の子はまだ小さくて、実家に連れて行くと手放しで喜んでくれた。

サッカー教えてあげるよ!と私に教えたように教えたがった。

あとからわかったけれどそんな中でもこそこそと身分不相応な買い物を続けていた。

 

そんな日々が続いたある日、兄貴は気付いたらガリガリになっていた。

そして苦しいと言って歩けなくなった。

10月に病院に行った時、12月までもたない、好きなことをさせてあげて

と告げられた。そしてそのことは本人は知らない方が良い、とも言われた。

自暴自棄になってしまうから、と。

 

入院となって、一度だけ家に戻り10日間ほどを過ごした。

家はいいよな!と言いながら帰ってきた兄に、母は何でも好きなもの食べなよ、と張り切って用意しようとしたが、兄が食べたかったのは

宅配ピザだった。

でも一切れ食べるのがやっとだった。

それでも家で過ごすのは楽しかったようで、うちの子を抱っこしたがった。

私は「せっかくだからツーショット撮ろう!」と兄が抱っこしている写真を撮った。

これが最後だろうなと思いながら。

 

兄は一度杖をつきながら出かけたこともあった。あんなに運動神経の良くて背も高かった兄が杖をつくなんて。

街でほとんど残したもののラーメンを食べたり、本屋に寄ったりしたようだった。

疲れたなあと言って帰ったものの満足げだったが、翌日には病院に戻らなくてはならないほど具合が悪くなっていた。

 

兄の死後に知ったのだけれど、父はこの日の兄と同じルートを同じように歩き、同じラーメンを食べていた。

在りし日の兄を思いながら歩いたことを思うと胸がいっぱいになる。

 

病状はどんどん悪化していて、手術も薬も効かない状況だった。

お腹の筋肉に悪性腫瘍ができていたのだった。

医師は「良性の腫瘍で、体力がついたら手術しましょう」とごまかし続けた。

でもお腹が痛いと苦しみ始め、モルヒネを打っては朦朧とする日々が始まった。

 

12月までもたないと言われた兄はお正月も頑張り、桜も見ることができた(病院からだったけど)。桜はぼんやりとしか見れなかっただろうな。そして葉桜が出てくるころモルヒネで朦朧としながらもうちの子に「俺のことは忘れないでくれよな」といった。

 

そしてその数日後、帰らぬ人となってしまった。まだまだ若い、40ちょっと。

両親はもちろん、家族みんなが泣いた。

お嫁さんだった人には知らせなかった。

家族の明るい救いはうちの子の成長しかない、そんな日々が続いた。

 

 

ある日父の夢に兄が出てきた。

とてもリアルで、リビングのソファに座っているので思わず

「お前死んだんやぞ」

と夢の中で父が言ったそうだ。兄は笑って

「知ってるよ。触ってみて、消えるから」

といって父に手を差し伸べたという。

そうしたら本当にサアーっと消えてしまったのだという。

 

母はそれを聞いてずっと泣いていた。

でも「あの子は死んだ方がよかった、みんなのためにも死んでよかったんや」と言った。

 

 兄はダメな男だったけれど優しい人だった。

死んでからも借金があることがわかった。本当にダメな兄だった。

母の死んでよかった、はこのことだった。みんなに迷惑かけ続けるから、そんな息子を見ているのは辛すぎるんだろう。

 

亡くなって3年ほど経った頃か私は兄を思い出して泣いていた。

「お兄ちゃん、私の声が聞こえるならなんでもいいから返事して、

聞こえてるって教えて」と声をあげて泣いた。

 

その日の明け方4時ごろ、家の電話が鳴った。

私は兄だなと思った。慌てて出て「お兄ちゃんなの?」

と聞くと無言で切れてしまった。

 

多分絶対間違い電話だろうけど、やっぱり兄からの返事だと思っている。

 

そんな兄の誕生日がもうすぐやってくる。

ダメなお兄ちゃん、お誕生日おめでとう。